・精神科に通院経験がある人
・生活保護受給の経験がある人

インタビュー17弾!
今回ご紹介するのは、毒家族育ちで精神科通院しているプチ子さんです。
目次
毒親育ちでうつ病になったプチ子さんとは?

【どんなひと?】
年齢:29歳
性別:女性
出身:香川
在住:大阪
【趣味】
・本集め
・マスキングテープ集め
・かわいいもの集め
・クレーンゲーム
・メダルゲーム
【経歴】
・毒家族育ち
・20歳まで香川で暮らす
・職場をバックレて大阪へ家出
・精神科通院は10年を越える
・生活保護を受給した経験があり
【子ども時代】毒親に苦しめられる

プチ子さんはどんな子ども時代を過ごしたんですか?

気管支喘息で入退院を繰り返していました。


お母様はなんでそんなことを?

・母親自体も両親に同じ事をされていた。
・母親も何らかの精神疾患(診断未)
・父親は仕事上、家には常に不在
・子育てや日常生活で相談する相手がいなかった
・父親が家で暴れて警察もよく来ていた。


【短大時代】実家から出る


妹の悲鳴の理由は、父親が妹を殺しかけたからです。
妹によると、首をしめられかけたとのことでした。



職場をバックれて香川から大阪へ


それから、職場をバックレて、ツイッターで知り合った友達がいる大阪へ行きます。


自分の身を守るために大阪へ飛びました。


香川で受給できなかったのに、大阪では受給できました。
生活保護を受け統合失調症の治療

大阪ではどうなさったんですか?

知人は彼氏になり一緒に住むようになりました。


精神科では、*統合失調症の治療をしていましたね。
【統合失調症とは?】
統合失調症は、脳のさまざまな働きをまとめることが難しくなるために、幻覚や妄想などの症状が起こる病気です。ほかの慢性の病気と同じように長い経過をたどりやすいですが、新しい薬や治療法の開発が進んだことにより、多くの患者さんが長期的な回復を期待できるようになっています。

別れ話で、私は彼氏を包丁で刺そうとしました。
そして、自分で警察を呼びました。

精神科に入院

つらいことばっかりでした。
精神科開放病棟は数ヶ月入院して退院しました。

生活訓練所に通うことになって訪問介護も受けることになりました。
生活保護の生活は、とてもつらかったです。

大阪に来てからずっと生活保護で生活してました。
自由なお金がなくてつらかった。

その後、どうされたんですか?

あと*ピアサポーターという大阪市認定の資格のようなものを取りました。
【ピアサポートとは?】
同じ症状や悩みをもち、同じような立場にある仲間=英語で「peer」(ピア)=が、体験を語り合い、回復を目指す取り組み。アルコールや薬物中毒の自助グループ、がんなどの患者やその家族、教育現場など、さまざまな分野に広がっている。

でも、生活保護の為、あと妹と疎遠だった為、大阪から香川までの戻り方がわからない為、通夜も葬式も参加できませんでした。

少しながら遺産が入ったからです。
その遺産も底を尽きました。
【現在】障害年金をもらいつつ精神科に通院

1日の過ごし方や、1か月の収支などについてお伺いできればと思います。

日中は朝2キロ歩いて、(うつ病対策)、散歩して太陽の光を浴びる(うつ病対策)、 その他、師匠から頼まれた雑用をこなして過ごしています。


元ホームレスで、ビッグイシューという雑誌を売ってホームレスを脱却し、今はカフェとクッキー作りとアルバイトをして頑張っています。
私の話を聞いてくれます。私は、師匠のことすごい人だと思っています。

最近、こねこちゃんが増えました。


障害年金が来月から入ります。

全部支払いに消えるのですが。

【将来】うつ病を寛解して笑って過ごしたい


好きな服を着ることです。


幸せに暮らしたい。
笑って過ごしたいです。


今できることをゆっくりと。何もあわてることはない。忙しく動いてもつかれるだけ。だから、できないことも、今だけだと思ってあわてない。
いつかできるときがくるはずだから。


今回はインタビューにご協力頂きありがとうございました!
ゆーた
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